日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t


 

                                 個別機体解説 JA5025 飛び降り自殺事件 最後は貨物機

  

JA5025の製造番号・形式・主な経歴
形  式 c/n 13510  C-47A-25-DK → DC3C-S1C3G
1944/06/06 USAAF 42-93582
1945/05/15 Philippine Airlines PI-C55
1956/11/26 極東航空 JA5025 「日向」(伊藤忠航空からリース 56/12/04引渡し)

撮影1956/11
出展:Fujiwara
1957/05/25 伊丹飛行場で駐機中に米軍HUP-2ヘリコプターの風圧でエレベーターを折損 06/20修理完了

航空情報1957年7月号

1957/12/01 合併により全日空に  「日向」を消す

大分空港 門上俊夫


 
1961/05/19 高松空港でオーバーラン事故
1961/11/25 貨物機に改造

キャビン扉が貨物ドアになっている 撮影1963/07/27 大阪国際空港 Twinbeech 

名古屋空港でT&G訓練時に撮影 1962/07 にがうり    1962




計器板 (駐機中に撮影)

計器板の写真に白い棒状のものが写っています。これはバンジーゴム(bungee cord)です。
 
 青の矢印で示したものは磁気コンパスを機体の振動の影響を受けないように上左右から引っ張って宙に浮かせています。  赤で示したものは、駐機中にエルロンが動かないように正副の操縦輪を結んで固定しているものです。(カーチスC-46は、ゴムではなく専用固定具でした)  バンジーといえば、DC-3の主脚をそろりと降ろすために、6本のゴムで緩衝させているのが定番でしたが、操縦席の中でも使われていたとは‥‥。

名古屋空港 撮影1963/10 服部公清

1966/09/26 JA5025 抹消登録
1966/*/* Astro Air Transport PI-C649

撮影1966/08/31 東京国際空港 出展:飛龍会
                   
Commercial Air Transport RP-C649
Trans Air Service RP-C649


奇跡的に空中爆破を免れ、ドアオープンでランディング

 1959(昭和34)年1月2日、大分空港発全日空64便岩国経由大阪行きDC-3 JA5025は、大分空港を定刻に離陸、順調に岩国へ向って飛行していました。
 瀬戸内海の山口県柳井市上空1000メートルあたりで、石崎秀夫機長はスチュワーデスから「乗客が飛び降り、ドアが開いたままです」との緊急コールを受けました。旋回して海面を探索しましたが波紋すら見つからず、やむを得ず副操縦士に客室の警戒を指示して、主扉を開けたまま岩国への強行着陸を決意します。
 通常の降下手順で接地し、機首を引き起こしたまま滑走させながら、サイドウインドを開けて後ろを見ると主ドアはまだぶら下がっております。(下図)

 それを確認して減速し、尾輪も接地してターミナル前に無事停止させたのです。

 主ドアは五つのステップをもつ階段を兼ね、2本のチェンで吊り下げてあります。尾輪が接地すると地上とは1階段分のスペースしかありません。しかし地面に当てることも無く、実に見事な着陸でした。
 警察の調査の結果、新婚旅行の夫(51)が妻(19)に睡眠薬を飲ませて殺害をはかったうえ、トイレットにダイナマイト25本を持ち込み飛行機もろとも自殺を図りましたが、雷管だけの小爆発に終わったため、スチュワーデスの隙をみて主ドアを開け飛び降りたものと判明しました。
 
            (1981/11全日空発行 安全飛行第97号 石崎秀夫 ダイナマイト事件より要約)

それにしても、
・     ダイナマイトが爆発しなかったこと
・   ドアが引きちぎれなかったこと (ヒンジが3分の1破損していたが、もし全損だとドアが尾翼か尾輪に当って着陸不能に陥る恐れがあった)
・   ドアから機外へ人間が吸い出されなかったこと(無与圧のうえ主ドアが後部にあるため )

などの幸運が重なりましたが、 これも石崎機長の冷静な判断と技術があっったればこそであり、死んだ人にはわるいけれども、幸運が重なってドアと便器を壊しただけの最小限の被害で済みました 。が、正月気分の最中に全く人騒がせな事件でありました。

 運輸省は、機長、副操縦士、スチュワーデスの沈着機敏な措置に対して、航空局長表彰を行いこれを讃えました。

 


高松空港で事故 貨物機に改造

 1961(昭和36)年5月19日に高松空港でに着陸の際、雨でスリップし田んぼに突っ込みました。

 全日空は2ヶ月かけてこれを修理し貨物機に改造しました。写真のように、飛び降り自殺の時に開けられた問題のステップ兼用のドアはなくなり、観音開きの貨物タイプになっております。
出展:JAHS

 

 

 


 

F-5 完